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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
A-4はダグラス社が開発しアメリカ海軍などに制式採用された艦上攻撃機。愛称はスカイホーク(''Skyhawk'')。当初の型式番号はA4Dであったが、アメリカ軍による1962年の命名規則変更の際、A-4に改称された。 == 開発と設計 == 1952年6月、アメリカ海軍から小型攻撃機XA4D-1の発注を受けたダグラス社は、設計主務者をエド・ハイネマンとして設計を進めた。ハイネマンは「軽量、小型、空力的洗練を追求すれば自ずと高性能が得られる」とのコンセプトに基づき、海軍側の見込んだ機体重量14tの半分に満たない6.7tという小型かつ軽量な機体に仕上げた。1952年10月には前量産型YA4D-1の発注も行われている。 1954年6月22日に初飛行。1955年10月15日には量産3号機が500km周回コースの速度記録を達成している。 A-4はデルタ翼を持つが主翼を折り畳まずに航空母艦のエレベーターに積載できる機体規模で、爆弾倉を省略し外部兵装は翼下パイロンに搭載することとされた。 折り畳み機構や爆弾倉の廃止はそれぞれ主翼部や胴体部の軽量かつ頑丈な設計に貢献した。翼下パイロンに搭載物を外装するには搭載物の抗力(空気抵抗)低減が欠かせないが、搭載するMk.80シリーズのAero 1Aと呼ばれる8:1の全長直径比を持つ低抗力の外形は、本機の主任設計者ハイネマンによる1946年における研究に基づくものである。 その他にも方向舵は1枚の薄板を両面から桁で補強する(A-4B以降)など、構造を簡潔にまとめて小型軽量ながら堅牢な機体に仕上がっており、このクラスの機体としては異例とも言える兵装搭載量を持つ。 この完成度の高さと簡潔さを併せ持つ機体設計は、信頼性・経済性においても優秀なものであった。たった6本のボルトを外すだけでエンジンを取り出せるなど整備性にも優れ、安価であることから数多くの国で導入された。 1967年にマクドネル・エアクラフト社と合併し社名がマクドネル・ダグラスに変更されて以後もA-4の改良・生産は継続され、1979年の製造終了までの25年間に、各型合計2,960機が製造された。 この間にベトナム戦争に参加し、イスラエルに供与された機体は第四次中東戦争に投入された。また、フォークランド紛争ではアルゼンチン軍の機体としてイギリス軍を攻撃した。さらには1991年の湾岸戦争時にもクウェート空軍のA-4KUがイラク空爆に参加した。 軽量で強靭な機体であったため「ハイネマンのホットロッド」とあだ名され、操縦のしやすさから練習機としても運用された。また、良好な運動性からアメリカ海軍戦闘機兵器学校(通称トップガン)においては仮想敵機役となったり、アメリカ海軍のアクロバット飛行チームであるブルーエンジェルスで使用されたりした。 高い機動性により、空対空戦闘で敵戦闘機を撃墜した事例も存在する。ベトナム戦争中の1967年5月1日、アメリカ海軍の空母ボノム・リシャールから離陸した"VA-76 スピリッツ"攻撃飛行隊のセオドア・R・スワーツ少佐の操縦するA-4Cスカイホークが、北ベトナム軍所属のMig-17を対地攻撃用のズーニー・ロケット弾で撃墜した。スワーツ少佐はこの功績によりシルバースターを授与された。 1970年5月12日には、イスラエル空軍第109飛行隊の飛行隊長であり、"ミスター・スカイホーク"のニックネームで呼ばれたエズラ・ドタン大佐の操縦するA-4Hスカイホークが、2機のシリア軍所属のMig-17を、対地攻撃用のロケット弾およびDEFA 30mm機関砲でそれぞれ撃墜した。 アメリカでは退役済みだが、ブラジルでは空母「サンパウロ」にてAF-1の名称で2008年現在唯一の固定翼艦上機として運用中である。また他の多くの国で陸上機として使用されている。 2015年12月13日、イスラエル空軍とシンガポール空軍では、高等練習機としてTA-4が長らく使用されてきたが、アレーニア・アエルマッキ M-346に更新されて退役する予定である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「A-4 (航空機)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Douglas A-4 Skyhawk 」があります。 スポンサード リンク
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